自殺をする前の自殺未遂の前の飛び降り体験
鬱を患って数年経過している。
最も辛い時期はおそらく過ぎて、希死念慮に駆られることも随分減ってきた。
それでも自分を責める感情や、自分という存在が有害であるという思考はなかなかなくならない。
状態が悪かった時期は、飛び降り未遂もした。柵を越えることが出来ず、よじ登っている内に止められたのだが。
最近のアパートの柵は高い。
希死念慮と破壊衝動に駆られ、自分に突き立てたいのか周りにぶつけたいのかわからない感情を刃物をクッションに突き立てるという形で耐えたこともある。
先日、久々に猛烈に死にたくなった。
しかし死んではいけないと思っていた。
正直に話すと、自らの命を自ら終わらせる権利があると私は思っている。
それでも、理由あって死んではいけないと言い聞かせて耐えている日々だ。
それが、決壊しそうになった。
死にたい。
どうしても、死にたい。
でも、死んではいけない。
カッターをクッションに突き立てるだけではおさまらない衝動だった。
飛び降りよう。
そう思った。
飛び降りたところで、確実には死ねない。
変に後遺症が残ると余計に大変だ。
むしろ、ごくごく簡単な自殺体験をすることによって痛みを知って、自殺願望が薄れれば良い。
生き残ることを前提に、飛び降りることにした。
押し潰されそうな気持ちの中、冷静にひとつずつ考えていた。
生き残ること前提なので、コンクリートではなく、雨でぬかるんだ土側に降りることに決めた。
建物の端に座り、足を下げる。
余程降り方を間違えない限り、酷いことにはならないであろう高さ。
受け身を取るか、両足で着地するかを考える一方で、死んでしまいたい、死にたいという考えを振り払わなければ、出来る限り安全に飛び降りた後どうするか、そんな思考がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。
鼓動は落ち着いていた。
とはいえ、なかなか降りることが出来ない。
なるほど、後ろ向きで飛び降りる人もいるわけだ。
私は滑り落ちるようにして飛び降りた。
地面までは一瞬だった。
受け身を取る余裕や考える時間なんてない。
あっという間に、ドンという音がして、濡れた土の上に転がった。
足で着地して、堪えきれずに仰向きに倒れたようだ。
立ち上がろうとした直後、足に激痛が走り、体を丸める。
音を聞いて、母親が家から出てきた。
記載していなかったが、これも想定内だった。
動けなくなった時、音や私の声を聞いて母が出てきてくれることを考えた上で、母親が階下にいる時に飛び降りた。
「いや、怒らないで」
片手を上げて笑いながら言った。
私は前向きな気持ちで飛び降りたつもりだったのだから。
体が動きそうなら、歩くか這うかして玄関で行き、鍵のかかった扉を叩く予定だったが、体は動かせなかった。
「死なないために出来るだけ安全に飛び降りたから、ちょっと怒らないでね」
と簡潔に言って、サポートを受けながら家に戻った。
足に湿布と包帯を巻き、翌日に病院へ。
骨折をしていた。
私はうっかりしていたのだが、骨折は数日では治らない。
生きているだけでお金がかかる金食い虫だと自分を責めていたが、怪我を負うと更にレントゲンや精密検査代などで医療費もかかる。
定期的に病院に通わなければいけない。
骨折経験がなかったこともあるが、冷静なようでいて追い詰められていたのだろう。その辺りのことまで完全に気が回っていなかった。
かくして、生きるための自殺体験は終わった。
正確にはこれから治療の日々が待っているので、まだ終わったとはいえないが。
通う病院が増えた。
自分でも浅はかだったなと思うし、痛みを感じるたびに「自業自得!」と叫んでいるが、この経験があったからこそもう自殺未遂はしないかもしれない。
(する時はもう少し考えるかもしれない)
いずれにせよ、前向きな自殺体験だったと自分では捉えている。
ただし、出費面に関しては罪悪感が凄まじいので、命と天秤にかけたら安いと思うことにしている。
自分の命の価値はそれほどないという自己否定の考えには一度蓋をして。